アスリート

【東京2020オリンピック日本代表】内村航平のプロフ/経歴/学歴/家族構成/大技トップ3/東京五輪へのスピーチ/エアウィーヴと契約を紹介!!

2021年6月20日

内村航平(東京オリンピック)

今回「リサーチノート~あなたの興味はなんですか?」で紹介するのは『東京五輪』内定のさんです。

2008年8月の北京オリンピックの体操で個人、総合の最終順位2位につけ、2つの銀メダルを獲得した19歳は、その後、2012年7月のロンドンオリンピック、2016年8月のリオデジャネイロと3大会連続で五輪に出場した内村航平さんは個人総合連覇を含む7つのメダル(金メダル3個、銀メダル4個)を獲得し、伝統の体操ニッポンのエース、そして世界のキングと称されるようになりました。

そして2020年、生まれ育った国である日本での開催、東京オリンピックで4大会連続の出場と期待されていましたが、度重なるケガに悩まされ、五輪出場が危ぶられていましたが、6種目で争う個人総合から鉄棒一本に専念し、H難度の大技「ブレットシュナイダー」を習得します。

東京2020オリンピックは、新型コロナウイルスの蔓延で1年延期となり、2021年7月23日に開幕する東京2020オリンピック出場に内定しています。

 

内村航平さんは4度目の大舞台となる東京オリンピックについて、このようにコメントしています。

東京オリンピックは、本当に人生でも最大の目標。一番高い表彰台にのぼること

また続々と若い選手がでてくる新時代についてもこのようにコメントしています。

世代交代は否めない。だけど譲る気はない

体操の東京五輪日本代表となった内村航平さんをよく知ってもらうために、今回もいろいろリサーチしました。

応援材料の参考になれば幸いです。

内村航平さんプロフィール

内村航平

名前 内村航平(うちむらこうへい)
ニックネーム キング・コウヘイ
年齢 32歳(2021年6月時点)
生年月日 1989年1月3日生まれ(巳(へび)年)
身長 162cm
体重 55kg
出身地 長崎県諫早市
職業 アスリート(プロ体操競技選手、北京五輪、ロンドン五輪、リオ五輪、東京五輪日本代表)
Twitter @kohei198913
Instagram @kohei198913
公式サイト
内村航平オフィシャルウェブサイト
所属 リンガーハット(2017年3月1日 - 2020年12月31日
オリンピック出場歴 北京・ロンドン・リオデジャネイロ五輪日本代表
東京五輪出場予定

福岡県北九州市で生まれた内村航平さんは、家族全員が体操選手で、父、母、妹の4人家族です。

父の内村和久さんは、日本体育大学体操競技部出身で、高校時代に高校総体の種目別でも優勝した経歴があります。

母の内村周子さんは、9歳からバレエ、14歳から体操を習い、長崎県立女子短期大学時代は父と同じく体操選手として活躍し、九州学生体操競技選手権大会で優勝経験もあります。

妹の内村春日(はるひ)さんは、内村航平さんの2歳年下の父と同じく日本体育大学出身で、全日本学生大会で、個人総合初優勝を飾っています。

両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、母の出身地である長崎県諫早市に帰郷したのをきっかけに内村航平さんは、3歳から体操を習い始めます。

スポーツクラブ内村

https://goo.gl/maps/aE96WXfkXBQmP6j6A

「スポーツクラブ内村」は自宅と同じ建物だったので内村航平さんは保育園から帰ってくると体操をするために真っ先に向かったそうです。それを見て両親は決して無理強いをせずに、のびのびと楽しませたそうです。

内村航平さんは幼少期から体操をしている時が一番楽しそうだったと母・周子さんは語っています。

内村航平さんはどんな学生時代を過ごしていたのか、小学校時代までさかのぼって紹介していきます。

 

内村航平さんの学歴一覧・出身地詳細

内村航平

諫早市立みはる台小学校小学校

入学年月 1995年4月
卒業年月 2001年3月

諫早市立諫早中学校中学校

入学年月 2001年4月
卒業年月 2004年3月

学校法人東洋高等学校

入学年月 2004年4月
卒業年月 2007年3月

日本体育大学

入学年月 2007年4月
卒業年月 2011年3月

では、ここからは内村航平さんの小学生時代から詳しく紹介していきます

内村航平さんの出身小学校

諫早市立みはる台小学校

学校名 諫早市立みはる台小学校
所在地 〒854-0057
長崎県諫早市平山町200
最寄り駅 本諫早駅(島原鉄道線)
公式HP 諫早市立みはる台小学校

https://goo.gl/maps/qh52jd1228txCfce9

内村航平さんの出身小学校は、地元の諫早市立みはる台小学校です。

小さい頃は、引っ込み思案でおとなしい子でした。身体も病弱で週一回熱をだしており、アトピー、アレルギー体質と両親が心配するほどでしたが、内村航平さんは、3歳から体操を始めて、6歳で初めての体操の大会に出場しました。結果は最下位でした。

当時の練習場所は母・周子さんの実家が諫早で借りていた土地があったので、両親が借金して船舶運搬用の大型コンテナを四つ並べて、自宅兼体育館で作った体操教室でした。自宅の間取りは7畳に4人暮らしです。エアコンもなく、夏になると熱気がこもり、蒸し暑い部屋になります。虫も湧いたりしたそうです。冬は結露した床となり、内村航平さんはたびたび転倒したこともあるそうです。さらに湿気がこもり鉄棒はサビだらけだったそうです。

小学生時代から自宅設置したあったトランポリンで夢中になって遊び、母・周子さんはサッカーや野球を薦めたこともありましたが、一切興味を示さなかったそうです。

毎日体操の練習に明け暮れる日々だったせいか、内村航平さんは体操以外の運動はまったくできず、いつもビリ争いだったみたいです。

動画でマスター!バク転完全習得プログラム

内村航平さんの出身中学校

諫早市立諫早中学校

学校名 諫早市立諫早中学校
所在地 〒854-0044
長崎県諫早市西郷町930−1
最寄り駅 (島原鉄道線)
公式HP 諫早市立諫早中学校

https://goo.gl/maps/GLtywtzxSGXRwarb9

内村航平さんの出身中学校は諫早市立諫早中学校です。

中学校に上がっても内村航平さんは体操に夢中になり、自宅にあるトランポリンばかりしていました。母・周子さんは、友達と遊んだり、他のスポーツも薦めたみたいですが、本人はまったく興味を示さなかったみたいで、内村航平さんは自宅だけでなく、学校の体育館や音楽室、廊下でバック宙を披露し、得意げな顔をしていたそうです。

当時のことについて内村航平さんはインタビューで次のように話しています。

最初は、ただ単に跳んだり跳ねたりするのが楽しくて。それで知らないうちに始めていました。本格的に練習を始めてからも、回ったりひねったりするのが楽しかった。日常生活では見られない景色を見られるのが面白かったんです

中学生の頃は体操を競技という考えではなく、単純に楽しいからやっているという漠然な思いで体操をやっていたのでしょう。

中学3年生の時に全国中学校体操競技選手権大会に出場していますが、本人いわく大会出場前でも通し(4種目/ゆか・あん馬・跳馬・鉄棒)の練習は一切せず、ぶっつけ本番で試合に挑んでいたそうです。ちなみにこの時は個人総合42位という結果に終わっています。

また体操しか興味がなかった内村航平さんは、勉強は苦手で学校の成績はあまりよくなかったみたいです。

内村航平さんの出身高校

東洋高等学校

学校名 東洋高等学校
所在地 〒101-0061
東京都千代田区神田三崎町1丁目4−16
最寄り駅 水道橋( JR中央・総武線)
公式HP 東洋高等学校

https://goo.gl/maps/agFMwaMRW8nuqBwd7

内村航平さんの出身高校は東洋高等学校です。

わざわざ上京して東洋高等学校へ進学したのは元男子体操競技の塚原直也さんに憧れ、朝日生命体操クラブに入門するためです。両親の反対を押し切って進学しています。

朝日生命体操クラブの練習ではこれまで自由に体操の練習をし、通し(全種目)をしたこともなかった内村航平さん。最初の練習で通しをやり始めますが、柔軟性もなく、かなりきつかったと吐露しています。

毎日、基礎や補強ばかりで自分の思うような体操ができないので、最初は楽しくなかったそうですが、高校2年生からその才能が開花していきます。

大会では常に上位に輝き、高レベルの技を次々と取得していき、高校3年生になると高校選抜と全日本ジュニアに出場し、個人総合を総なめにして一気に知名度を高めます。その年の全日本では高校生ながらも、ナショナルチームの選手に抜擢されます。

内村航平さんの出身大学

日本体育大学

学校名 日本体育大学
所在地 〒158-0081
東京都世田谷区深沢7-1-1
最寄り駅 桜新町駅( 田園都市線)
公式HP 日本体育大学

https://goo.gl/maps/22S4GhTE6tAC1vYk6

内村航平さんの出身大学は、体操の名門・日本体育大学です。体操のスポーツ推薦で入学しています。

大学時代は寮生活をしており、内村航平さんはオリンピックについて次のようにインタビューで答えています。

ボンヤリとしか見えてこなかったオリンピックが、ハッキリと見えてきた

そして、全日本選手権で初優勝し、2008年には北京オリンピックにも出場し、個人総合と団体総合で銀メダルを獲得しています。

内村航平さんは10代でオリンピックに出場し、メダル獲得という史上初の快挙を成し遂げました。

さらに翌年、2009年の世界選手権にて、日本人選手4人目の個人総合タイトルを獲得しました。

それ以来は、世界選手権で前人未到の6連覇、ロンドンオリンピックでは、念願の個人総合金メダルも獲得しています。

それを機に、内村航平さんは海外でも「キング」と称されるようになりました。

日本体育大学卒業後は、コナミスポーツに入社しています。

2016年リオオリンピックの感動!そして内村航平さんは日本で初めてのプロ体操選手に!

内村航平

2016年のリオオリンピックでは、加藤沢男さん以来の体操の歴史上44年ぶりとなる2連覇を達成し、日本中が歓喜に湧いた年でした。

あの感動は人々の心に深く刻まれました。

感動を少し振り返ります。

この大会では、ウクライナのオルグ・ベルニャエフ選手に0.901点と差をつけられ最終種目を迎えた内村航平さん。
そして、得意の鉄棒で、手放し技「屈身コバチ」や「カッシーナ」をダイナミックかつ美しい空中姿勢で高難度の技を披露し、最後は微動だにしない着地。
内村航平さんも「これで勝てないなら後悔はない」というほどの演技で、得点は全体の1位である15.800点でした。
ここまでの状況を受けてオルグ・ベルニャエフ選手が優勝するのに必要な得点は14.900点。
オルグ・ベルニャエフ選手の演技は途中までスムーズに技をつなげたものの最後の着地で大きく動いたため、実施点で大きく減点されました。そして得点は14.800点となり、内村航平さんの奇跡の大逆転を果たし、金メダルを獲得しました。

そして、2016年12月には、内村航平さんが日本で初めてプロ体操選手になることを発表します

自分にしかできないことを実現するために。

4年前から僕が思い描いていたビジョン。それは、プロという選択です。
自分にしかできないことを実現したいという強い思いから、日本で最初のプロ体操選手として活動していくことを決めました。
これから4年後の大会に向けて全力で競技力の向上を図りながら、現役のいまだからこそできることがあると考え、このタイミングで新しい領域へ踏み出します。
僕がプロになり露出機会が増えれば、子どもたちをはじめ、より多くの方に体操の楽しさ、素晴らしさを知ってもらえる。そして、次の世代に世界トップレベルの日本の体操を伝えたい。
そのためには、この活動を通じて広い視野を持ち、僕自身も体操への知識を深めるとともに競技者としてさらに成長したいと思っています。
自分にしかできないこと。その目的を実現するために。
これからも応援よろしくおねがいします。

2016年12月内村 航平

引用:内村航平オフィシャルウェブサイト

2017年3月1日には、内村航平さんは出身地の長崎発祥外食チェーン「リンガーハット」と契約をかわしました。内村航平さんは東京オリンピックで引退を予定していましたが、契約期間は2021年12月末までとなっています。ですがコロナ禍における想定をはるかに上回る業績悪化により、2020年12月31日をもって「リンガーハット」との契約は断念となりました。

内村航平さんの家族構成

内村和久&内村周子

内村航平さんは4人家族です。

冒頭でも簡単な家族紹介をしましたが、オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、金メダル3、銀メダル4を獲得し、世界体操競技選手権でも個人総合で世界最多の6連覇。合計21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得した内村航平さんを育てた両親とそばでいつも見ていた妹を、さらに詳しく紹介します。

内村航平さんの父親・内村和久さん

内村和久

妻の周子さんより1歳年上ということで現在は60歳になるのでしょうか。
現在は妻の周子さん(内村航平さんの母親)と「スポーツクラブ内村」の経営をされています。
高校は福岡県柳川市にある柳川高等学校です。

内村和久さんは、インターハイの種目別のゆかと跳馬で優勝しており、日本体育大学の体操競技部を経て福岡・小倉のクラブで指導者の道に進み、1992年の内村和久さんが31歳の時、独立を決断します。

独立の理由として「自分でやらないと面白くない」ということで、妻・周子さんの故郷である長崎県諫早史で、体操教室を始めました。

独立当初は生徒数も少なく、家族が生活をするのが精一杯で経営難でした。体操教室だけでは生活が成り立たず、内村和久さんは午後3時頃までうどん屋でアルバイトをして、家計の足しにしていました。体操教室が軌道に乗るまで2、3年はかかったらしいです。

内村和久さんがそこまで苦労をして、体操クラブを続けた理由を、次のように語っています。

漠然とですが、いつか指導者として強い選手を育てたいと思っていたんです。ただ私も日体大ではレギュラーになれませんでしたから、オリンピックなんて夢のまた夢。とにかく美しい体操を教えたいの一心でした

内村航平さんの母親・内村周子さん

内村周子

内村航平選手のお母さんの名前は、内村周子さんです。
1962年4月28日生まれの現在は59歳(2021年6月時点)。

内村周子さんも元・体操選手であり、長崎県立女子短大時代は九州学生体操競技選手権大会で優勝しています。

体操クラブでは、夫・和久さんと一緒に指導を行ってきました。
体操クラブを始めた当初は生徒数も6、7人と少なく、共働きで体操クラブの運営に携わりながらも、内村周子さんがこだわったのは、子どもに「手料理」を食べさせることでした。

両親は共に体操クラブの経営をしており、親子のコミュニケーションを補うために、おやつであっても自分の手で作ったものを、手紙とともに食卓や冷蔵庫に用意して子ども達を大事に育ててきました。

体操クラブの運営でなかなか子ども達と過ごす時間がとれなかった内村周子さんは息子を溺愛しすぎて1ミリも子離れできなかったことで、子どもたちの大会には必ず応援にいき、息子・航平さんの髪の毛やツメなどを大事に保管した「LOVEコレクション」などもあり、思春期の息子の心に影を落とした時期もあります。

さらに内村周子さんは子離れできず、親元を離れ寮生活し始めた航平さんに、「手料理」を冷凍させて、冷凍宅配便で航平さんに届けたこともあり、その過剰なまでの行動に「もう、応援にこないで」と突き放すような言葉を航平さんに言われた経緯もありました。

0歳赤ちゃんの発達あそび100

内村航平さんの妹・内村春日さん

内村春日

内村航平さんには妹がいて、名前は内村春日(はるひ)さんです。
1991年生まれで内村耕平さんの2歳年下です。

内村春日さんも体操選手であり、日本体育大学3年生の時に全日本学生選手権で個人総合初優勝するなど、こちらも並の実力ではありません。
内村春日さんの体操得意種目は段違い平行棒と平均台です。

現在は、長崎の中高一貫校で保健体育の教師を務めながら、実家の「スポーツクラブ内村」でコーチをしています。

内村航平さんの妻・内村千穂さん(旧姓・上谷)

内村千穂

内村航平さんの妻の名前は、内村(旧姓・上谷)千穂さんです。
1990年生まれで夫・航平さんより1歳年下です。
日本体育大学体操部の先輩と後輩同士でした。

二人の交際は2011年10月頃にスタートし、翌年の2012年11月11日の『いい夫婦の日』に結婚しました。

そして2013年4月に長女の斗碧(とあ)ちゃん。2015年8月に次女の千翠(ちあ)ちゃんが誕生しています。

内村弘平&内村千穂&斗碧(とあ)ちゃん&千翠(ちあ)ちゃん

内村千穂さんは、夫・航平さんと交際中、一度しかデートしていないらしく、上野動物園に行ったくらいと話しています。

それには理由があり、夫・航平さんから体操を引退するまで待ってほしいといわれており、体操に全てを注ぐ夫・航平さんの姿があります。

内村航平さんがいままでに覚えた大技トップ3

内村航平(金メダル)

1931年7月26日生まれの体操競技の元オリンピック選手で現役時代は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と称された秋田県能代市出身の小野 喬(おの たかし)という体操選手がいました。

小野喬さんは1952年ヘルシンキオリンピックに出場し跳馬で体操競技では日本初となる銅メダルを獲得し、1956年メルボルンオリンピックの鉄棒では体操競技で日本人最初の金メダリストとなった人物です。
また1960年のローマオリンピックでも鉄棒で連覇のほかに跳馬でも金メダルを獲得し、1964年東京オリンピックでも団体総合の一員としてのみ金メダルを授与された日本の男子体操黄金時代の礎を築いた人物です。

そんな偉業を成した小野喬さんと同様に2020年東京オリンピックで4大会連続オリンピック出場を内定させた内村航平さんはこれまでに6種目で約500の技を習得しています。
その中で内村航平さんの人生で覚えた体操6種目のうち最も難易度の高かった大技トップ3を紹介していきます。
ちなみに体操の技名は初の成功者の名前がつけられます。

「試合で自分の力を100%発揮する」高畑式メンタルトレーニング

ブレトシュナイダー

2020年東京オリンピック出場に向けて鉄棒に専念し最大の武器となった「ブレトシュナイダー」に内村航平さんはこのように話しています。

今まで覚えた技の中でも1、2番目くらいに難しい技。上位トップ3には間違いなく入る

実際に「ブレトシュナイダー」は鉄棒で2番目に高いH難度の大技です。

ブレトシュナイダー詳細

体操、男子鉄棒競技の技。コバチ(バーを越えながら、後方かかえ込み2回宙返り懸垂)2回ひねり。2014年発表、翌年命名。名称はドイツの体操選手、アンドレアス・ブレトシュナイダーから。

引用:コトバンク

リ・シャオペン

内村航平さんが「ブレトシュナイダー」と同等の難易度に挙げたのが、跳馬の「リ・シャオペン」です。こちらも高難度で、以前、跳躍時に命の危険を感じたことも明かしていた。

リ・シャオペン詳細

体操、男子跳馬競技の技。ロンダート(側方倒立回転跳び1/4ひねり後向き)から後ろ跳びひねりヨー2(前転跳び1/2ひねり後方伸身宙返り2回ひねり)。また、男子平行棒競技の技。腕支持から前振り上がり後方屈身2回宙返り腕支持。名称はいずれもシドニーオリンピック(2000年)、北京オリンピック(2008年)団体総合などで金メダルを獲得した中国の体操選手、李小鵬から。

引用:コトバンク

蹴上がり

内村航平さんの人生で覚えた難易度の高かった大技は「ブレトシュナイダー」、「リ・シャオペン」と続き、3番目に選んだ技は意外で「蹴上がり」でした。

体操競技の基本技といえる「蹴上がり」は鉄棒にぶら下がって体をスイングさせた反動で上半身を鉄棒の上に持ち上げる基本技です。

内村航平さんは5、6歳の頃に挑戦し、最初は何百回やってもできなかったと当時を振り返っています。また内村航平さんは蹴上がりついてこのように語っています。

蹴上がりは本当に難しい。あれだけ苦労したのに、教える時は分からないんですよ。セオリーはあるけど、その人に合っているか分からない。体操って『1+1=2』じゃないんですよね

内村航平さんの東京オリンピックへの想い。

2020年東京オリンピックの開催は新型コロナウイルスの蔓延で一年後に延期となりました。
そして迎えた2021年、国民の関心事は「開催か中止か」です。

内村航平さんは2020年11月8日に国際体操連盟が開催した国立代々木競技場・第一体育館で国際親善大会「Friendship and Solidarity Competition(友情と絆の大会)」の閉会セレモニーにて東京オリンピック開催への賛同を国民に訴えています。

国際親善大会「Friendship and Solidarity Competition(友情と絆の大会)」
内村航平さんのスピーチ全文

本日は皆さん、盛大なご声援、本当にありがとうございました。そして、FIG会長の渡辺守成さん。そして、IOC/JOCその他関係各所の皆さま、この大会を開催していただいて、本当にありがとうございました。
確実に来年の東京オリンピックに向けて、いい形でつなげられた、本当にもう、僕たち選手の表情を見てもらえるとわかったと思うんですけど、めちゃくちゃ楽しかったです。やはりこのコロナ禍の中で、練習をうまくできない選手もいたり、試合が本当に全くなくなってしまったりっていう選手がほとんどでしたので、ま、なんかこう、みんな、久々に会って、その感情をこの大会にみんながぶつけて、それで化学反応が起きて、非常に、僕としては非常に良い大会だったし、オリンピックにつながるとか、そういうんじゃでなくて、もう本当に大会自体として、非常に楽しめました。
ま、その中で、まぁ少し、僕としては残念だなと思うことが、まぁしょうが無いのかなとも思うんですけど、やはりこのコロナウイルスの感染が拡大していて、日本の国民の皆さんが『オリンピックが出来ないんじゃないか』っていう思いが80%以上、超えているっていうのが、非常に残念だというか、まぁしょうがないのかなとも思うんですけど。『出来ない』じゃなくて、『どうやったら出来るか』を皆さんで考えて、どうにか出来るように、そういう方向に考えを変えて欲しいなって、僕は思います。
でも、これは非常に大変なことであるというのは、僕も承知の上で言っているんですけど、それでもやっぱり、国民の皆さんとアスリートが、こうやっぱり同じ気持ちでないと大会はできないのかなっていう風に僕は思うので、どうにか、なんとか、どうにか『出来る』やり方っていうのは必ずあると思うので、どうか『出来ない』っていう風には、思わないで欲しいなと思います。
そして来年の東京オリンピックが無事に開催されて、成功した後には、先程も出たように2021年の10月に北九州で世界選手権があります。それにもし僕が出る事ができれば人生で2回目の日本で行なう世界選手権になります。
まぁ自分の生まれた国でオリンピックが出来るだけでも、すごく幸せなことなんですけど、その後に自分の生まれ故郷で試合が、世界選手権が出来るっていう、この上ない幸せが来年あるなっていう風に思っています。
少し長くなってしまいましたが、この大会が無事に終わって、本当にうれしく思いましたし、また今後、試合が徐々にやっていくと思うので、選手のみんなはそれに向けて頑張っていきたいと思っていますので、どうか、ご声援のほど、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

内村航平さんの胸に突き刺さる感動のスピーチです。

内村航平さん、エアウィーヴとスポンサー契約

内村航平(エアウィーヴ)

東京2020オリンピック競技大会体操競技男子種目別鉄棒日本代表に内定した内村航平さんは2021年6月1日、株式会社エアウィーヴとスポンサー契約を締結しました。

内村航平さんの思いとして、経験を重ね、結果を出すためには質の良い睡眠が大事と実感するようになり、その思いに共感し、株式会社エアウィーヴとスポンサー契約締結に至りました。
内村航平さんが愛用しているのは、「エアウィーヴ マットレス2020」です。体形に合わせて肩・腰・脚の各パーツの硬さをカスタマイズできる三分割マットレスです。このマットレスは、東京2020大会の選手村に提供するマットレスにも応用されています。

睡眠に対して内村航平さんはこのように語っています。

内村航平さん コメント

アスリートは、毎日練習し、翌日に疲労を残さずに次の日も同じように練習に取り組むことが求められます。私は3歳から体操競技を続けてきましたが、歳を重ねるにつれ、コンディション管理と向き合う中で特に「睡眠」に気を遣うようになりました。寝具は毎日使う物です。その毎日使う寝具で良い睡眠を取り、自分の身体のコンディションを維持することで日々安心して競技が続けられています。今回のご縁を大切にしながら引き続き頑張って参ります。

引用:公式エアウィーヴオンラインショップ

まとめ&内村航平さんの主な競技成績

内村航平

今回は『オリンピック体操日本代表選手』の内村航平さんを紹介させていただきました。

内村航平さんは体操界の「キング」と称され、努力の天才とも言われています。超人的な技を駆使しながら、世界選手権、オリンピックと数々の舞台で大活躍し、決してその結果に慢心することなく、日々練習に明け暮れており、日本人としては誇りに思う体操界のスーパースターです。

延期となった東京2020五輪でも、その圧倒的な強さでオリンピック4連覇を達成して、またあの感動を日本中に巻き起こして欲しいものです。
東京オリンピック、内村航平さんを応援します。

ご覧いただき、ありがとうございました。

今回の記事に関する意見や、こういった内容に関する記事を読みたい!といった方はぜひコメントでシェアしていただくとありがたいです。

それでは、また次回お楽しみに!

主な競技成績

国際大会

大会名 団体 個人 ゆか つり輪 平行棒 鉄棒 跳馬 あん馬
2006年12月 ボローニンカップ 団体優勝 個人4位 ゆか3位 つり輪6位 平行棒7位 鉄棒3位
2007年8月 ユニバーシアード 団体優勝 ゆか優勝 跳馬3位
2007年11月 北京国際招待 団体2位 ゆか7位
2008年8月 北京オリンピック 団体総合2位 個人総合2位 ゆか5位
2010年10月 世界選手権(2010) 団体総合2位 個人総合優勝
(2連覇)
ゆか2位 平行棒3位
2011年10月 世界選手権(2011) 団体総合2位 個人総合優勝
(3連覇)
ゆか優勝 つり輪6位 平行棒4位 鉄棒3位 あん馬5位
2012年7月 ロンドンオリンピック 団体総合2位 個人総合優勝 ゆか2位
2014年10月 世界選手権(2014) 団体総合2位 個人総合優勝
(5連覇)
鉄棒2位
2006年4月 環太平洋選手権 団体1位 ゆか優勝 つり輪4位 平行棒2位
2009年7月 体操JAPAN CUP 2009 団体優勝 個人優勝
2010年7月 体操JAPAN CUP 2010 団体優勝 個人優勝
2011年7月 体操JAPAN CUP 2011 団体優勝 個人優勝
2015年10月 世界選手権(2015) 団体総合優勝 個人総合優勝
(6連覇)
鉄棒優勝
2016年8月 リオデジャネイロオリンピック 団体総合優勝 個人総合優勝
(連覇)
ゆか5位
2007年5月 フランス国際 跳馬3位
2007年10月 全日本選手権
(第61回)
個人7位 ゆか優勝
2008年5月 NHK杯(第47回)
(北京五輪最終選考)
個人総合2位
2008年5月 天津国際 ゆか優勝
2008年11月 全日本選手権
(第62回)
個人総合優勝
(連覇開始)
ゆか2位 あん馬2位
2008年11月 豊田国際 ゆか2位
2008年12月 ワールドカップ決勝(第14回) ゆか2位
2009年3月 コトブス国際 ゆか優勝
2009年4月 全日本選手権
(第63回)個人
個人総合優勝
(2連覇)
2009年6月 NHK杯(第48回) 個人総合優勝
(連覇開始)
2009年10月 世界選手権(2009) 個人総合優勝
(連覇開始)
ゆか4位 鉄棒6位
2009年11月 全日本選手権
(第63回)種目別
ゆか優勝
(連覇開始)
つり輪2位 平行棒優勝 鉄棒2位
2009年12月 豊田国際 ゆか優勝 鉄棒2位 あん馬7位
2010年4月 フランス国際 つり輪2位 鉄棒優勝
2010年5月 全日本選手権
(第64回)個人
個人総合優勝
(3連覇)
2010年6月 NHK杯(第49回) 個人総合優勝
(2連覇)
2010年12月 全日本選手権
(第64回)種目別
ゆか優勝
(2連覇)
平行棒7位 鉄棒優勝 跳馬優勝
2010年12月 豊田国際 ゆか優勝 鉄棒2位 跳馬6位
2011年4月 全日本選手権
(第65回)個人
個人総合優勝
(4連覇)
2011年6月 NHK杯(第50回) 個人総合優勝
(3連覇)
2011年11月 全日本選手権
(第65回)種目別
ゆか優勝
(3連覇)
鉄棒優勝 あん馬優勝
2011年11月 ワールドカップ東京 個人総合優勝
2011年12月 豊田国際 ゆか優勝 鉄棒優勝
2012年4月 全日本選手権
(第66回)個人
個人総合優勝
(5連覇)
2012年5月 NHK杯(第51回)
ロンドン五輪最終選考
個人総合優勝
(4連覇)
2013年5月 全日本選手権
(第67回)個人
個人総合優勝
(6連覇)
2013年6月 NHK杯(第52回) 個人総合優勝
(5連覇)
2013年10月 世界選手権(2013) 個人総合優勝
(4連覇)
ゆか3位 平行棒優勝 鉄棒3位
2013年12月 豊田国際 ゆか2位 平行棒優勝 鉄棒優勝
2014年4月 全日本選手権
(第68回)個人
個人総合優勝
(7連覇)
2014年5月 NHK杯(第53回) 個人総合優勝
(6連覇)
2015年4月 全日本選手権
(第69回)個人
個人総合優勝
(8連覇)
2015年5月 NHK杯(第54回) 個人総合優勝
(7連覇)
2016年4月 全日本選手権
(第70回)個人
個人総合優勝
(9連覇)
2016年5月 NHK杯(第55回) 個人総合優勝
(8連覇)
2017年4月 全日本選手権
(第71回)個人
個人総合優勝
(10連覇)
2017年5月 NHK杯(第56回) 個人総合優勝
(9連覇)
2017年6月 全日本選手権
(第71回)種目別
鉄棒優勝
2018年4月 全日本選手権
(第72回)個人
個人3位
2018年5月 NHK杯(第57回) 個人総合優勝
(10連覇)

引用:ウィキペディア

 

 

-アスリート
-, , , , , , , ,