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群雄割拠の芸能界。
今回リサーチしたのは、その群雄割拠を生業とする職業であり、笑いを追及した芸人さん、小籔千豊さんです。
1993年、小藪さんは漫才コンビ、「ビリジアン」としてデビュー後、相方の意向で解散しています。
その後、間寛平さん、今田耕司さん、東野幸治さん、藤井隆さん、山田花子さんなど多くの出演者を売れっ子として輩出した吉本新喜劇に入ると頭角を現し、5年ほどで座長に就任しました。
またお笑い芸人として活躍するだけでなく、モデルやバンドなど幅広いジャンルで人気を集めます。
多様な価値観で活躍する小籔さんは、新喜劇をおもきにした芸人活動を行っていましたが、トークバラエティ番組『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)へ出演したことがきっかけで、爆発的に知名度があがりました。
初出場は2007年、2021年1月現在までに21回(スピンオフは0カウント)出場し、3回のMVS(Most Valuable すべらない話)を獲得するなど、べしゃりの七奉行(千原ジュニア、宮川大輔、ほっしゃん。河本準一、ケンドーコバヤシ、兵動大樹、小藪千豊)として「人志松本のすべらない話」ではなくてはならない出演者の1人です。
これまでに小藪さんが出演した「人志松本のすべらない話」
サブタイトル | 題目 | 開催年月日 |
第36弾 | 渡部さん | 2021年1月23日 |
第35弾 | 「売れたな」と思う瞬間 | 2020年1月11日 |
第33弾 | マッサージの仙人 | 2019年1月12日 |
第32弾 | オーベルジーヌ | 2018年1月20日 |
第30弾 | 第30回記念大会大阪の人 娘とお風呂 | 2016年7月9日 |
第29弾 | 西川きよし師匠 ズームイン朝 | 2016年1月9日 |
第28弾 | 吉本新喜劇・島田一の介 | 2015年7月11日 |
第27弾 人志松本のすべらない話 10thyear finalstage | 仲良しだった元相方 | 2015年1月10日 |
第25弾 10周年突入!MVS全員集合 | バイト先のおばちゃん | 2014年1月11日 |
第24弾 | 妹の夫 | 2013年6月29日 |
第23弾 歳末大感謝祭 | 酒の席にて | 2012年12月29日 |
第22弾 | 島木譲二 | 2012年6月23日 |
第21弾 クリスマススペシャル~ 第10代MVSは誰だ!?~ |
天然の人 交通マナー違反 スノーボード |
2011年12月23日 |
第20弾 第20回記念大会 | 殺陣の稽古にて・・・ | 2011年6月25日 |
第19弾 Merry X'mas! 聖夜スペシャル | 何とも言えない顔 | 2010年12月25日 |
第18弾 お前ら、やれんのか!! 史上最多!初参戦9人!!スペシャル | 4才の娘 新喜劇の後輩 | 2010年6月26日 |
第17弾 5周年記念 夢のオールスター戦 歴代MVP全員集合スペシャル | 便意 | 2009年12月26日 |
第15弾 ザ・ゴールデンSP4 | 吉本新喜劇の竜じい | 2008年12月27日 |
第14弾 ザ・ゴールデンSP3 | 合コン | 2008年6月21日 |
第13弾 | 略礼服 Sの女 舞台稽古 |
2008年3月25日 |
第10弾 ザ・ゴールデンSP | 同じ顔 キョンキョンと··· | 2007年6月2日 |
スピンオフ企画
千豊小籔のすべらない話 | 娘 | 2014年6月28日 |
第21回MVS。受賞話は「スノーボード」。
第14回MVS。受賞話は「合コン」。
第13回MVS。受賞話は「略礼服」。
話すネタは新喜劇の楽屋でのことから日常のことまでジャンルは幅広く、小藪節を練りこんだい内容が笑いを引き立てます。視聴者の心をぐっと引き寄せる話術は舌鼓を打ちます。
吉本新喜劇の座長を務めるほどの実力の持ち主ですが「人志松本のすべらない話」出演後に小藪さんことを知ったという人は多かったみたいです。
小藪さんの知名度は「人志松本のすべらない話」でブレークしましたが、じつはそのすべての活動は「吉本新喜劇の宣伝のため」だと言います。
また小藪さんには愛妻家やベジタリアン、宗教家など興味を引く話題が付きまとう芸人ですが、どういう人物なのか徹底的リサーチしたのでご紹介していきましょう!
小藪千豊さんのプロフィール
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本名 | 小籔 千豊(こやぶ かずとよ) |
生年月日 | 1973年9月11日 |
年齢 | 48歳(2021年3月現在) |
出身地 | 大阪府大阪市住吉区(現・住之江区 |
血液型 | B型 |
身長 |
188cm |
趣味 |
ダーツ、ビリヤード、麻雀、将棋、写真、水泳 |
方言 |
大阪弁 |
最終学歴 |
近畿大学附属高等学校 |
出身 |
吉本総合芸能学院(NSC)第12期 |
コンビ名 |
ビリジアン(1993年 – 2001年) |
トリオ名 |
ビッグポルノ |
相方 |
やまだともカズ |
芸風 |
吉本新喜劇、漫談、コント |
事務所 |
よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京本社) |
インスタグラムアカウント | @koyabukazutoyo_shinkigeki |
ツイッターアカウント | @koyabukazutoyo |
YouTube |
吉本新喜劇ィズ フォートナイト下手くそおじさん |
1997年上方漫才界で最も歴史の長い権威ある賞「第28回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞(ビリジアンとして)。
2006年には「第35回上方お笑い大賞」話題賞。
この時の大賞受賞者は「メッセンジャー」さん、最優秀技能賞には友近さん、最優秀新人賞にはNON STYLEさん、審査員特別賞には池乃めだかさんです。
そして同年「第2回BGO上方笑演芸大賞」脚本賞。翌年の2007年の「第3回BGO上方笑演芸大賞」では大賞を受賞しています。
また2014年には大阪市が、大阪文化の振興を目指すと同時に未来の大阪文化を担う人材に対して贈られる賞である「咲くやこの花賞」大衆芸能部門を受賞しています。
小籔さんの主な活動は2001年に吉本新喜劇入団、4年後の2005年には史上最年少で座長に就任しています。
舞台を中心に活動しながら、トークバラエティ番組『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)などバラエティ番組にも多数出演しています。
小藪千豊さんの現在の出演番組
・よしもと新喜劇(毎日放送)
・今ちゃんの「実は…」(朝日放送テレビ) - レギュラー[62][63]
・ノンストップ!(フジテレビ、2012年4月 - ) - 火曜日ゲスト(隔週出演)[64]
・コヤブガチピン写真館(フジテレビONE、2013年11月 - ) - MC(月1放送)[65]
・くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日) - 不定期出演
・水曜日のダウンタウン(TBSテレビ) - 不定期出演
・ソレダメ!〜あなたの常識は非常識!?〜(テレビ東京、2015年4月15日 - )
・競馬血統研究所(フジテレビONE、2015年7月4日 - )
・小籔大説法〜旅とグルメの世直し説法バラエティ〜(フジテレビONE、2017年1月2日 - )
・コヤぶるッ!SPORTS(関西テレビ、2017年10月7日 - ) - MC
・ヤブツル〜鶴瓶・小籔の大阪夜話〜(NHK、2015年 - )
・ハイパーハードボイルドグルメリポート(テレビ東京・特番、2017年 - )MC
・小籔千豊の将棋道場小破り(ファミリー劇場、2019年3月15日 - )MC
・よしもと新喜劇NEXT〜小籔千豊には怒られたくない〜(毎日放送、2019年10月10日 - )
・ミント!(毎日放送)- 隔週金曜日出演
・人志松本のすべらない話(フジテレビ) - レギュラー※出典:Wikipedia
不定期出演でも長者番組の「アッコにおまかせ」「行列のできる法律相談所」「ダウンタウンDX」など多数の番組に出演する超売れっ子の芸人さんです。
1990年代デビューの芸人さん
数々の番組に出演する小藪さんですが、たまにふと感じる疑問があります。
芸人さん同士が集まる番組で敬語を使ったりタメ口をつかったりと上下関係が視聴者側からよくわからないときってありますよね。
芸人の世界はスーパー体育会系の縦社会といわれており、一日でも芸歴が長ければ先輩の立位置になるみたいです。
そこで小藪さんが芸人として活動を始めた1990年代デビューの芸人さんをご紹介します。
芸名 | 本名 | デビュー年 | 生年月日 | 所属事務所 |
川畑泰史(吉本新喜劇座長) |
1990年 |
1967年6月22日 | 吉本興業 |
|
ウド鈴木(キャイーン) | 鈴木任紀 | 1990年 | 1970年1月19日 | 浅井企画 |
博多華丸(博多華丸・大吉) |
岡崎光輝 |
1990年 |
1970年4月8日 |
吉本興業 |
カンニング竹山 | 竹山隆範 | 1990年 | 1971年4月2日 | サンミュージック |
木本武宏(TKO) | -------- | 1990年 | 1971年5月6日 | 松竹芸能 |
木下隆行(TKO) | 1990年 | 1972年1月26日 | 松竹芸能 | |
濱口優(よゐこ) | 1990年 | 1972年1月29日 | 松竹芸能 | |
有野晋哉(よゐこ) | 1990年 | 1972年2月25日 | 松竹芸能 | |
日村勇紀(バナナマン) | 1990年 | 1972年5月14日 | ホリプロコム | |
岡村隆史(ナインテイナイン) | 1990年 | 1970年7月3日 | 吉本興業 | |
兵藤大樹(矢野・兵藤) | 1990年 | 1970年7月24日 | 吉本興業 | |
矢野勝也(矢野・兵藤) | 1990年 | 1970年8月17日 | 吉本興業 | |
博多大吉(博多華丸・大吉) | 吉岡廣憲 | 1990年 | 1971年3月10日 | 吉本興業 |
星田英利 | 1990年 | 1971年8月6日 | 吉本興業 | |
矢部浩之(ナインテイナイン) | 1990年 | 1971年10月23日 | 吉本興業 | |
宮川大輔 | 1990年 | 1972年9月16日 | 吉本興業 | |
堀内健(ネプチューン) | 1990年 | 1969年11月28年 | ワタナベエンターテイメント | |
飯尾和樹(ずん) | 1990年 | 1968年12月22日 | 浅井企画 | |
やす(ずん) | 藍木靖英 | 1990年 | 1969年11月18日 | 浅井企画 |
天野ひろゆき(キャイーン) | 天野博之 | 1991年 | 1970年3月24日 | 浅井企画 |
原田泰造(ネプチューン) | 1991年 | 1970年3月24日 | ワタナベエンターテイメント | |
土田晃之 | 1991年 | 1972年9月1日 | 太田プロダクション | |
上田晋也(くりぃむしちゅー) | 1991年 | 1970年5月7日 | ナチュラルエイト | |
有田哲平(くりぃむしちゅー) | 1991年 | 1971年2月3日 | ナチュラルエイト | |
インタビューマン山下 | 山下 栄緑 | 1991年 | 1968年10月29日 | 吉本興業 |
桂三度 | 渡邊 鐘 | 1991年 | 1969年8月27日 | 吉本興業 |
メッセンジャーあいはら(メッセンジャー) | 會原 雅一 | 1991年 | 1969年9月6日 | 吉本興業 |
メッセンジャー黒田(メッセンジャー) | 黒田有 | 1991年 | 1970年1月29日 | 吉本興業 |
ハリウッドザコシショウ | 中澤 滋紀 | 1992年 | 1974年2月13日 | SMA NEET Project |
有吉弘行 | 1992年 | 1974年5月31日 | 太田プロダクション | |
劇団ひとり | 川島省吾 | 1992年 | 1977年2月2日 | 太田プロダクション |
大久保佳代子(オアシズ) | 1992年 | 1971年5月12日 | プロダクション人力舎 | |
光浦靖子(オアシズ) | 1992年 | 1971年5月20日 | プロダクション人力舎 | |
児島一哉(アンジャッシュ) | 1992年 | 1972年7月16日 | プロダクション人力舎 | |
ケン(水玉れっぷう隊) | 松谷賢示 | 1992年 | 1969年8月22日 | 吉本興業 |
中川剛(中川家) | 1992年 | 1970年12月4日 | 吉本興業 | |
田中直樹(ココリコ) | 1992年 | 1971年4月26日 | 吉本興業 | |
遠藤章造(ココリコ) | 1992年 | 1971年7月13日 | 吉本興業 | |
中川礼二(中川家) | 1992年 | 1972年1月19日 | 吉本興業 | |
藤井隆 | 1992年 | 1972年3月10日 | 吉本興業 | |
ケンドーコバヤシ | 小林友治 | 1992年 | 1972年7月4日 | 吉本興業 |
鳥川耕一 | 1992年 | 1973年1月24日 | 吉本興業 | |
たむらけんじ | 田村賢司 | 1992年 | 1973年5月4日 | 吉本興業 |
陣内智則 | 1992年 | 1974年2月22日 | 吉本興業 | |
ダンディ坂野 | 坂野賢一 | 1993年 | 1967年1月16日 | サンミュージックプロダクション |
岡田圭右(ますだおかだ) | 1993年 | 1968年11月17日 | 松竹芸能 | |
増田英彦(ますだおかだ) | 1993年 | 1970年2月9日 | 松竹芸能 | |
中島知子 | 1993年 | 1971年8月26日 | 松竹芸能 | |
松嶋尚美 | 1993年 | 1971年12月2日 | 松竹芸能 | |
渡部建(アンジャッシュ) | 1993年 | 1972年9月23日 | プロダクション人力舎 | |
飯塚悟志(東京03) | 1993年 | 1973年5月27日 | プロダクション人力舎 | |
設楽統(バナナマン) | 1993年 | 1973年4月23日 | ホリプロコム | |
平畠啓史(DonDokoDon) ※コンビ活動中止中 |
1993年 | 1968年8月14日 | 吉本興業 | |
山口智充(DonDokoDon) ※コンビ活動中止中 |
1993年 | 1969年8月14日 | 吉本興業 | |
土肥ぽん太 | 土肥耕平 | 1993年 | 1971年6月6日 | 吉本興業 |
田村亮(ロンドンブーツ1号2号) | 1993年 | 1972年1月8日 | 吉本興業 | |
小藪千豊(吉本新喜劇座長) | 1993年 | 1973年9月11日 | 吉本興業 | |
田村淳(ロンドンブーツ1号2号) | 1993年 | 1973年12月4日 | 吉本興業 | |
小掘(2丁拳銃) | 小掘裕之 | 1993年 | 1974年1月9日 | 吉本興業 |
浜本広晃(テンダラー) | 1993年 | 1974年2月15日 | 吉本興業 | |
修土(2丁拳銃) | 川谷修土 | 1993年 | 1974年5月17日 | 吉本興業 |
多田健二(COWCOW) | 1993年 | 1974年8月8日 | 吉本興業 | |
善し(COWCOW) | 山田興志 | 1993年 | 1974年10月19日 | 吉本興業 |
スギちゃん | 杉山英司 | 1994年 | 1973年8月24日 | サンミュージックプロダクション |
豊本明長(東京03) | 1994年 | 1975年6月6日 | プロダクション人力舎 | |
柴田英嗣(アンタッチャブル) | 1994年 | 1975年7月15日 | プロダクション人力舎 | |
山崎弘也(アンタッチャブル) | 1994年 | 1976年1月14日 | プロダクション人力舎 | |
井戸田潤(スピードワゴン) | 1994年 | 1972年12月13日 | ホリプロコム | |
小沢一敬(スピードワゴン) | 1994年 | 1973年10月10日 | ホリプロコム | |
くわばたりえ(クワバタオハラ) | 刈込理恵 | 1994年 | 1976年3月24日 | ホリプロコム |
マギー審司 | 三浦審 | 1994年 | 1973年11月11日 | マセキ芸能 |
ヒデ(ぺナルテイ) | 中川秀樹 | 1994年 | 1971年4月7日 | 吉本興業 |
ワッキー(ぺナルテイ) | 脇田寧人 | 1994年 | 1972年7月5日 | 吉本興業 |
吉田敬(ブラックマヨネーズ) | 1994年 | 1973年6月27日 | 吉本興業 | |
小杉竜一(ブラックマヨネーズ) | 1994年 | 1973年7月5日 | 吉本興業 | |
ロッシー(野生爆弾) | 城野克弥 | 1994年 | 1975年4月6日 | 吉本興業 |
河本準一(次長課長) | 1994年 | 1975年4月7日 | 吉本興業 | |
徳井義実(チュートリアル) | 1994年 | 1975年4月16日 | 吉本興業 | |
井上聡(次長課長) | 1994年 | 1976年2月2日 | 吉本興業 | |
くっきー(野生爆弾) | 川島邦裕 | 1994年 | 1976年3月12日 | 吉本興業 |
八木真澄(サバンナ) | 1994年 | 1974年8月4日 | 吉本興業 | |
てつじ(シャンプーハット) | 宮田哲児 | 1994年 | 1975年8月7日 | 吉本興業 |
高橋茂雄(サバンナ) | 1994年 | 1976年1月28日 | 吉本興業 | |
こいで(シャンプーハット) | 小出水直樹 | 1994年 | 1976年2月1日 | 吉本興業 |
後藤輝基(フットボールアワー) | 1994年 | 1974年6月18日 | 吉本興業 | |
岩尾望(フットボールアワー) | 1994年 | 1975年12月19日 | 吉本興業 | |
ゴルゴ松本(TIM) | 松本政彦 | 1994年 | 1967年4月17日 | ワタナベエンターテイメント |
ふかわりょう | 府川亮 | 1994年 | 1974年8月19日 | ワタナベエンターテイメント |
永野 | 永野一樹 | 1995年 | 1974年9月2日 | グレープカンパニー |
小木博明(おぎやはぎ) | 1995年 | 1971年8月16日 | プロダクション人力舎 | |
矢作兼(おぎやはぎ) | 1995年 | 1971年9月11日 | プロダクション人力舎 | |
伊藤さおり(北陽) | 篠田 さおり | 1995年 | 1974年4月9日 | プロダクション人力舎 |
虻川美穂子(北陽) | 桝谷美穂子 | 1995年 | 1974年9月11日 | プロダクション人力舎 |
ゆってぃ | 藤堂雄太 | 1995年 | 1977年1月25日 | プロダクション人力舎 |
バカリズム | 升野英知 | 1995年 | 1975年11月28日 | マセキ芸能 |
尾崎小百合(かつみ・さゆり) | 市田克彦 | 1995年 | 1969年7月15日 | 吉本興業 |
品川祐(品川庄司) | 1995年 | 1972年4月26日 | 吉本興業 | |
ゴリ(ガレッジセール) | 照屋年之 | 1995年 | 1972年5月22日 | 吉本興業 |
川田広樹(ガレッジセール) | 1995年 | 1973年2月1日 | 吉本興業 | |
浅越ゴエ(ザ・プラン9) | 浅越浩志 | 1995年 | 1973年12月20日 | 吉本興業 |
西田幸治(笑い飯) | 1995年 | 1974年5月28日 | 吉本興業 | |
ハチミツ二郎(東京ダイナマイト) | 高野二郎 | 1995年 | 1974年11月20日 | 吉本興業 |
中川貴志 | 1995年 | 1975年7月4日 | 吉本興業 | |
清水けんじ | 清水健次 | 1995年 | 1975年7月16日 | 吉本興業 |
高井俊彦 | 1995年 | 1975年8月27日 | 吉本興業 | |
庄司智春(品川庄司) | 1995年 | 1976年1月1日 | 吉本興業 | |
佐藤哲夫(パンクブーブー) | 1995年 | 1976年4月3日 | 吉本興業 | |
タカ(タカアンドトシ) | 鈴木崇大 | 1995年 | 1976年4月3日 | 吉本興業 |
トシ(タカアンドトシ) | 三浦敏和 | 1995年 | 1976年7月17日 | 吉本興業 |
ビビる大木 | 大木淳 | 1995年 | 1974年9月29日 | ワタナベエンターテイメント |
コカドケンタロウ(ロッチ) | 小門建太朗 | 1995年 | 1978年8月8日 | ワタナベエンターテイメント |
おぐ(ロビンフット) | 小嶋章弘 | 1996年 | 1976年5月5日 | SMA NEET Project |
塚地武雅(ドランクドラゴン) | 1996年 | 1971年11月25日 | プロダクション人力舎 | |
角田晃広(東京03) | 1996年 | 1973年12月13日 | プロダクション人力舎 | |
鈴木拓(ドランクドラゴン) | 1996年 | 1975年12月7日 | プロダクション人力舎 | |
島田秀平 | 1996年 | 1977年12月5日 | ホリプロコム | |
スッチー(吉本新喜劇座長) | 須知裕雅 | 1996年 | 1972年1月26日 | 吉本興業 |
中西哲夫(笑い飯) | 1996年 | 1974年12月25日 | 吉本興業 | |
あべこうじ | 阿部公二 | 1996年 | 1975年2月19日 | 吉本興業 |
ヤナギブソン(ザ・プラン9) | 柳谷学 | 1996年 | 1976年3月25日 | 吉本興業 |
宇治原史規(ロザン) | 1996年 | 1976年4月20日 | 吉本興業 | |
菅広文(ロザン) | 1996年 | 1976年10月29日 | 吉本興業 | |
松田洋昌(ハイキングウォーキング) | 1996年 | 1976年10月21日 | 吉本興業 | |
藤原一裕(ライセンス) | 1996年 | 1977年9月20日 | 吉本興業 | |
井本貴史(ライセンス) | 1996年 | 1978年1月27日 | 吉本興業 | |
青木さやか | 1996年 | 1973年3月27日 | ワタナベエンターテイメント | |
中岡創一(ロッチ) | 1996年 | 1977年12月8日 | ワタナベエンターテイメント | |
原口あきまさ | 原口晶匡 | 1997年 | 1975年11月3日 | ケイダッシュステージ |
はなわ | 塙尚輝 | 1997年 | 1976年7月20日 | ケイダッシュステージ |
いとうあさこ | 伊藤麻子 | 1997年 | 1970年6月10日 | マセキ芸能 |
大村朋宏(トータルテンボス) | 1997年 | 1975年4月3日 | 吉本興業 | |
山田ルイ53世(髭男爵) | 山田順三 | 1997年 | 1975年4月10日 | 吉本興業 |
黒瀬純(パンクブーブー) | 1997年 | 1975年5月8日 | 吉本興業 | |
隅田美保(アジアン) | 1997年 | 1975年11月29日 | 吉本興業 | |
藤田憲右(トータルテンボス) | 1997年 | 1975年12月30日 | 吉本興業 | |
川島明(麒麟) | 1997年 | 1979年2月3日 | 吉本興業 | |
秋田久美子 | 1997年 | 1975年7月31日 | 吉本興業 | |
田村裕(麒麟) | 1997年 | 1979年9月3日 | 吉本興業 | |
五十嵐サキ | 五十嵐亜紀子 | 1997年 | 1975年12月1日 | 吉本興業 |
馬場園梓(アジアン) | 1997年 | 1981年3月1日 | 吉本興業 | |
じゅんいちダビッドソン | 内海潤一 | 1998年 | 1975年2月4日 | アミー・パーク |
マー坊(ロビンフット) | 斉藤誠人 | 1998年 | 1976年3月28日 | SMA NEET Project |
松本りんす(だーりんず) | 松本直樹 | 1998年 | 1977年11月10日 | SMA NEET Project |
富澤たけし(サンドウイッチマン) | 富澤岳史 | 1998年 | 1974年4月30日 | グレープカンパニー |
伊達みきお(サンドウイッチマン) | 伊達幹生 | 1998年 | 1974年9月5日 | グレープカンパニー |
テツ(テツandトモ) | 中本哲也 | 1998年 | 1970年5月9日 | ニチエンプロダクション |
トモ(テツandトモ) | 石澤智幸 | 1998年 | 1970年5月10日 | ニチエンプロダクション |
西川忠志 | 1998年 | 1968年4月20日 | 吉本興業 | |
椿鬼奴 | 佐藤雅代 | 1998年 | 1972年4月15日 | 吉本興業 |
福田充徳(チュートリアル) | 1998年 | 1975年8月11日 | 吉本興業 | |
木村卓寛(天津) | 1998年 | 1976年5月22日 | 吉本興業 | |
堤下敦(インパルス) | 1998年 | 1977年9月9日 | 吉本興業 | |
板倉俊之(インパルス) | 1998年 | 1978年1月30日 | 吉本興業 | |
秋山竜次(ロバート) | 1998年 | 1978年8月15日 | 吉本興業 | |
山本博(ロバート) | 1998年 | 1978年9月5日 | 吉本興業 | |
黒沢かずこ(森三中) | 黒沢宗子 | 1998年 | 1978年10月17日 | 吉本興業 |
馬場裕之(ロバート) | 1998年 | 1979年3月2日 | 吉本興業 | |
村田秀亮(とろサーモン) | 1998年 | 1979年12月3日 | 吉本興業 | |
ノブ(千鳥) | 早川信行 | 1998年 | 1979年12月30日 | 吉本興業 |
村上知子(森三中) | 1998年 | 1980年1月2日 | 吉本興業 | |
大島美幸(森三中) | 鈴木美幸 | 1998年 | 1980年1月13日 | 吉本興業 |
向清太朗(天津) | 1998年 | 1980年2月27日 | 吉本興業 | |
大悟(千鳥) | 山本大悟 | 1998年 | 1980年3月25日 | 吉本興業 |
毛利大亮(ギャロップ) | 1998年 | 1982年4月11日 | 吉本興業 | |
花香よしあき | 花香 芳秋 | 1999年 | 1979年10月12日 | 浅井企画 |
小田祐一郎(だーりんず) | 1999年 | 1977年3月13日 | SMA NEET Project | |
小原正子(クワバタオハラ) | 鈴木正子 | 1999年 | 1975年10月23日 | ホリプロコム |
ホリ | 堀裕人 | 1999年 | 1977年2月11日 | ホリプロコム |
津田篤宏(ダイアン) | 石村篤宏 | 1999年 | 1976年5月27日 | 吉本興業 |
西澤裕介(ダイアン) | 1999年 | 1977年3月14日 | 吉本興業 | |
山里亮太(南海キャンディーズ) | 1999年 | 1977年4月14日 | 吉本興業 | |
田中一彦(スーパーマラドーナ) | 1999年 | 1977年10月15日 | 吉本興業 | |
綾部祐二(ピース) | 1999年 | 1977年12月13日 | 吉本興業 | |
林健(ギャロップ) | 1999年 | 1978年5月17日 | 吉本興業 | |
武智(スーパーマラドーナ) | 武智正剛 | 1999年 | 1978年8月3日 | 吉本興業 |
なかやまきんに君 | 中山翔二 | 1999年 | 1978年9月1日 | 吉本興業 |
久保田和靖(とろサーモン) | 1999年 | 1979年9月29日 | 吉本興業 | |
又吉直樹(ピース) | 1999年 | 1980年6月2日 | 吉本興業 | |
西野亮廣(キングコング) | 1999年 | 1980年7月3日 | 吉本興業 | |
吉村崇(平成ノブシコブシ) | 1999年 | 1980年7月9日 | 吉本興業 | |
岩部彰(ミサイルマン) | 1999年 | 1980年7月19日 | 吉本興業 | |
門野鉄平(パーフェクト・ダブル・シュレッダー) | 1999年 | 1980年8月5日 | 吉本興業 | |
梶原雄太(キングコング) | 1999年 | 1980年8月7日 | 吉本興業 | |
徳井健太(平成ノブシコブシ) | 1999年 | 1980年9月16日 | 吉本興業 | |
西代洋(ミサイルマン) | 1999年 | 1980年9月27日 | 吉本興業 | |
村本大輔(ウーマンラッシュアワー) | 1999年 | 1980年11月25日 | 吉本興業 | |
加藤歩(ザブングル) | 1999年 | 1974年10月26日 | ワタナベエンターテイメント | |
松尾陽介(ザブングル) | 1999年 | 1977年1月28日 | ワタナベエンターテイメント |
参考:無精者のかわら版
小藪千豊さんの学歴
小藪さんのトークは立て板に水のような喋り方で、ちょっと難度の高い語彙を会話に織りまぜる話術を繰りひろげており、賢そうなイメージがありますが、最終学歴は高卒です。
ですが小藪さんが通っていた近畿大学附属高等学校は偏差値60オーバーなので元々頭は良かったみたいです。
高校卒業後は大学へは進学せずに吉本への道を歩んでいますので、もともと大学進学という方向性はなかったみたいです。
大阪を拠点とした芸人活動を行っており、昔から芸人の間ではかなり評判が高く、大阪では知名度も高かったみたいです。
千原ジュニアさんの推薦で「人志松本のすべらない話」に出演してから東京進出を果たしています。
番組のキャスティングには口を出さないと有名なジュニアさんですが後の功績をみるとジュニアさんの先見性は凄いですね。
小藪千豊さんはすぐ辞めるだろうなと思って進んだ芸人の道
小藪さんが芸人の道に興味を持ち始めたのは高校2年生の時です。
2017年の「#高校生なう」のインタビューでこうコメントしています。
「高校2年の時、何か好きなことをしたいと考えていて、心斎橋筋2丁目劇場で舞台を見たら、全然おもしろくない芸人さんが出ていたんですよ。
小学生のころから、なんばグランド花月に通うくらい、お笑いが大好きでしたが、一生の仕事ではないと思っていましたし、お笑いを野球選手の球のスピードに例えると、150kmを超える剛速球を投げられないとプロの芸人になれないと考えていたんです。
自分では120kmなら出せる自信がありましたが、150kmなんて到底ムリ。
ところが、90kmしか投げていないヤツが劇場に出ていた。
ぼくのあこがれの神聖な舞台に、なんでおもろないヤツが立ってるんだ。
そんなんでいけるんやったら、自分の速球がどこまで通用するか試してみよう」と決心。
でも『芸人になりたい』というより、『舞台に立ってみたい』『大好きなバッファロー吾郎としゃべりたい』『テレビも1回くらい出れたらいいかな』、そんなノリでしたね」
引用:#高校生なう
軽い気持ちで芸人への道を歩み始めた小籔さん。
「自分よりおもしろくないやつが舞台に立ってる」という理由で芸人の道を決意した小籔さん。
芸人デビュー前からかなりの自信家だったみたいですね。
小藪千豊さんの新喜劇での活躍
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小藪さんの芸歴として有名なのが2006年1月に吉本新喜劇の座長にスピード就任というのがあります。
吉本新喜劇の座長にスピード就任とひとくくりに説明されていますが、それまでの紆余曲折を少し振り返ってみましょう。
2001年、お笑いコンビ「ビリジアン」解散!
2001年にお笑いコンビ「ビリジアン」を解散したのち、吉本新喜劇に入団します。
新人の若手にいきなりメインの役など与えられるわけもなく最初の9ヶ月間はお客さん役で納得がいかない日々が続き辞めようと思っていたそうです。
そしてその安定志向に吉本新喜劇社員から反感を買い、「芸人再生工場ではない」「辞めろ」と批判を受けていました。
かけだしの新人芸人は月給2万円ととても安く、芸人だけでは嫁さんを食わせていけなかったため、ファミレスのバイトを掛け持ちで働き、辛抱の時代を耐え抜きました。
この頃嫁さんに貧乏をさせたことを今でも悔やんでいるようで、自分の不甲斐なさから「離婚してもいい」と後日語っています。
お笑いコンビ「ビリジアン」解散後、漫才から転職してきた芸人として坂道を転がり落ちるような落ち目が続く毎日で希望が見いだせないなか、信じてついてくれる現在の嫁さんのためにも最後のチャンスとして、1年間だけ時間を貰い、再起をかけてピン芸人としての活動を始めます。
そして、小藪さんはこの年に結婚をしました。
新喜劇で金持ちになるには3つの方法がある
当時、共にくすぶっていた川畑泰史さんと親しくなり、飲み会の席で勢いで制作した企画が高く評価され、小藪千豊&川畑泰史のコンビで舞台に上がることが増えブレークし始めました。
この当時川畑さんとよく話しをしていたのは「新喜劇で金持ちになるにはどうしたらいいか?」という内容でした。
何度も話し合いを繰り返した結果、二人が分析した答えは、「新喜劇で金持ちになるには3つの方法がある」にたどりつきました。
1つ目は飛びぬけたキャラクターになること。
2つ目は“新喜劇になくてはならないベテランになる”。
3つ目が“座長になる”。
この三つを小藪さん、川畑さんに照らし合わせ、分析すると、お互いのキャラクターは飛びぬけてはいないし、そんなキャラでもない。
ベテランになるといっても何十年も待たなくてはならない。
二人が目指す道が必然と「座長になる」を選択することとなります。
そして、2006年1月31日に小藪千豊は吉本新喜劇の座長に就任しましたが、入団4年目での就任は異例の早さでした。
川畑さんも2007年6月に座長に就任しています。
小藪さんは、吉本新喜劇の看板を東京にも広めるため、2011年から東京吉本へ移籍しています。
上京をきっかけに、小藪さんは吉本新喜劇を広める意味でも色々な活動を開始します。
お笑いユニット「ビッグポルノ」を結成
当時歌手として人気のあった2丁拳銃のライブにゲストに呼ばれてラップを披露したのがきっかけとなり2003年1月16日にレイザーラモン(出渕誠と住谷正樹)と音楽・お笑いのユニット「ビッグポルノ」を結成します。
「ビッグポルノ」は下ネタラップが基本となっており、2005年8月31日には「国立文楽劇場より愛をこめて」と題して同所では異例のコントライブを行い、「伝統とエロスのコラボレーション」を実現したと語っています。
「ビッグポルノ」を結成してコントライブを精力的に行う中で、同じく大阪・舞洲で開催される野外音楽イベント「SUMMER SONIC」を意識した、「コヤブソニック」を2008年から毎年開催しましたが、「ビッグポルノ」が解散する2014年を以て一旦終了となりましたが、2017年に小籔さんの結成した5人組バンド「吉本新喜劇ィズ」が出演するイベントとして3年ぶりに復活しました。
そして、バラエティ番組やドラマにもタレントとして積極的に出演を重ねる中で、小藪さんの独特な毒舌キャラクターが受け入れられていき、ピン芸人としてもブレークを果たします。
小藪千豊さんのお笑い芸人への思いやり
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辛辣な悪口や皮肉を言う毒舌キャラとして注目されている小籔さんですが、性格のよさから先輩から可愛がられているだけでなく後輩からも慕われています。
周囲から慕われる性格のよさの背景にあるのは、自分よりも他人を大切にする考えかたにあります。
出演する番組で時折みせるおもいやりの言葉や単独インタビューなどのコメントでもその実直さが表れています。
その一部をご紹介します。
「漫才は自分のためにやっていました。
でも、吉本新喜劇に入ってからは、『人のため』に頑張ろうと考えたんです。
しんどいからやめようかな、と思った時、引き留めてくれた仲間や、家で貧乏な生活をして待っている嫁はんの顔を思い浮かべていました。
仲間に『小籔を引き留めて良かった』『オレらのおかげやな』と喜んでもらいたかったし、一人前の男として家族を養いたかったから。
昔は、オリンピック選手が『皆さんのおかげで金メダルが取れました』と言うのを聞いて、みんなやなくて、お前の努力と才能のおかげやろ、と思っていたんです。
でも、座長就任時の口上で、心の底から『皆さんのおかげです』って言っていましたね。
人間って、誰かに認められたり、必要とされたりすることで頑張れると思うんです。
引き留めてくれた仲間、かわいがってくれた先輩、待っていてくれた嫁さんはん、応援してくれるお客さん、さらには自分を生んで育ててくれた親にも感謝。
皆さんのおかげで、今、こんな晴れがましい舞台の一番真ん中に立っているわけだから、恩返しをせなあかんなと思いましたね」
引用:#高校生なう
さり気ない気遣いが普段の仲間とのやりとりにも現れ、それが座長という役職がなくても多くの人に慕われる小籔さんの優しい魅力です。
小藪千豊さんは毒舌キャラだけど、人一倍家族思いで愛妻家
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絶妙な毒舌辛口トークと問題発言が得意の炎上芸人・小藪さんは、バラエティ共演者だけでなく社会問題もばっさりと切り捨てるトークを展開しており、性格の悪そうな視聴者イメージがありますが、そのイメージとは裏腹に人一倍家族思いで愛妻家です。
家族のためにお金を稼がないといけないという使命感を常にもっており、漫才芸人からコント芸人へと転進するにあたり未知の世界のなかでみつけたウケのいい毒舌キャラ、嫌われキャラに自分を仕立て上げていきました。
そのきっかけとなったのは、美容室の女性スタッフの「やしきたかじんは嫌いだけど全て観てしまう」という一言で、毒舌嫌われキャラは慢性的な中毒性があることを知ったことからでした。
その後、毒舌辛口トークのキャラを確立させた小藪さんですが、自身のインスタグラムでは頻繁に有名タレントとの2ショットや親しみそうに絡み合う姿がたびたび投稿されており、毒舌辛口キャラのイメージとは正反対です。しかもネット上の評判も悪くありません。
嫌われる要素のあるタレントは検索した時に「嫌い」という予測検索が表示されがちですが、小藪さんにはそれがありません。
しかし、表面ばかりを切り取り小藪さんの毒舌キャラがわかっていない人がみると、知らないから嫌いという事に本人は凹んでいるのかもしれません。
これはけっこう有名な話ですが、番組中に毒舌辛口トークを披露した後、CMに入ると、すぐ皆に謝っているらしいです。
小藪さんのコメント
「すんませんでした。皆さん、テレビ見てたら本当に気を悪くされることもあるかと思いますが、何とぞ、嫁はんと子どもを食わせるため一生懸命やってると、ご理解ください」
引用:ディリ
小藪千豊さんが悩んだ芸人引退
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今でこそ売れっ子芸人として活躍している小藪さんですが、現在までの道のりは決して平坦なものではなかったようです。
過去に2度芸人引退を考えたことがあるようで、そこからは小藪さん愛妻家で家族思いな一面が見えてきます。
芸人として山田知一さんとお笑いコンビ「ビリジアン」を1993年に結成した小藪さん。
「ビリジアン」としては1993年から約8年も活動するも芽があまり出ず、相方に構成作家を目指したことで捨てられた形で2001年に「ビリジアン」を解散しています。
この時、小藪さんはお笑い芸人の道を諦めようとしていました。
「ビリジアン」の元相方・山田知一さんは現在「やまだともカズ」の名義で構成作家をしており小藪さんも出演する「今ちゃんの実は・・・」の番組などを担当して活躍しています。
また捨てられる形でコンビ解散となった小藪千豊は、自分が面白くないと感じていたことからお笑い芸人を諦めようとしていました。
続いて小藪さんには元々二つの夢がありました。
一つは芸人の世界で成功すること
もう一つは幸せな家庭を築くこと
小藪さんは「自分はおもんない、つまらない」と感じた時期があり、一つ目の芸人の世界で成功する夢は絶たれたと感じていました。
その時、もうひとつの夢である幸せな家族を築くために警察官か一般職に転職して、現在の嫁さんと結婚しようと考えていたそうです。
しかし、芸人仲間だったケンドーコバヤシさんや野生爆弾さんやバッファロー吾郎さんらに引き止められて、「小藪は絶対に売れる!」となんども説得されたため芸人を続けることにしたそうです。
小藪千豊さんはベジタリアン?
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「肉を食べない」と出演番組でも公言している小藪さん。
これまでに何百万回もその質問をうけてきており、うんざりしている様子を語っていましたが、嫁さんは結婚するまでに普通に肉を食べてきたでしょうし、子供が偏食になったら困るという理由から小籔さんだけベジタリアンを貫いているようです。
肉を食べない簡単な理由としては、祖父が医者のようなことをしていた影響だと語っています。
こちらの動画でその詳細は確認できます。
ダウンタウンさんや千原ジュニアさんとの掛け合いトークも爆笑します。
小藪千豊さんの幼少期
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出演番組では毒舌辛口トークで場を盛り上げる小藪さんですが、カメラが回っていない時は本当に礼儀が正しいと周囲の人から評判が高いです。
挨拶の作法やこまなか気遣いなど、一朝一夕で身につくものではない礼儀正しさは幼少時代からの備えだと感じる人も多く、実際、小藪さんはどういうふうに育てられたんでしょうか?
小藪さんの幼少期のデータは少なく、リサーチできる範囲は狭かったですが、これまでリサーチできた内容はこちらになります。
●祖父の教えにより、肉を食べる環境を与えられなかった
●水道水は飲んだら駄目
●食事中のテレビはご法度。数秒見ただけでも食事を下げられる
●電車ではよほど空いていないと座れない
●女性には優しく、嫌われることをしない
ある意味、軍隊のようにしつけに厳しいようです。
小藪千豊さんの俳優時代
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「男はつらいよ」シリーズなどで有名な山田洋次監督から、小藪さんは俳優として売れると言われていました。
小藪さんは188cmと背は高くそのうえブサイクというのは俳優には中々いないため、需要があると言われていたそうです。
実際に山田洋次監督から直々のオファーもあり、1996年には『学校Ⅱ』に生徒役で役者デビューしており、その他にも東海林さだおさんの漫画を実写化した『サラリーマン専科』、西田敏行さん、 小泉今日子さん主演の『虹をつかむ男 南国奮斗編』などに出演しています。
小籔千豊さんと嫁さんの馴れ初め
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小籔さんと嫁さんの最初の馴れ初めは、高校卒業後に男女3:3で行ったスキー旅行です。
その女性三人のなかに現在の嫁さんとなる方がいて、最初の印象は「うっとおしい奴」というものでした。
その印象を抱えたまま小籔さんはコミュニケーションをとっていくうちにすごく面白い女性だと気づきはじめます。
後日談ですが、そのときの印象は最初の「うっとおしい奴」から「今まで出会った女の中でも3本指に入るくらい面白い」と語っています。
そして、9年の長い交際期間を経て、2001年に結婚しました。
小籔千豊さんが嫁さんにしたプロポーズ
「僕が幸せにできるかどうかわかりませんが、僕にはとても必要な方やという風に思います。だから一生懸命頑張るので、結婚してくれませんか」
9年越しのプロポーズは素直な思いです。
現在の嫁さんを9年待たせた理由として小籔さんはこう語っています。
「付き合って1、2年くらいのときに『ギャラがあと10万上がったら結婚するで』って伝えていたんですけど、2万、5万って感じでちょっとずつ上がってくうちに9年くらい引っ張って」
守るものができた環境で仕事にもより一層、気合がはいりお笑い芸人への覚悟を決めた小籔さんは、ここから怒涛の快進撃をくりひろげます。
ここで気になるのは、小藪さん嫁さんはどんな人なのか?という疑問ですが、一般人女性のため写真は出回っていないようです。目撃情報によれば、北斗晶さんに似ているとも菅原洋一さんに似ているとも言われています。
しかし、どんな女性か聞かれたさいに小藪さんが答えたのは、「顔は2点、性格は100点」と嫁さんのことを冗談まじりに話していましたが、売れない時代に貧乏をさせたことを今でも悔やんでいるようで、その分を取り戻したい気持ちもあるのかいつまでも感謝しているようです。
売れていない小藪さんを、必ず活躍すると信じて付き合ってきた奥さんの懐の広さがスゴイと思います。
小籔さんの理想の家族像
理想の家族像についてこんなエピソードがあります。
小籔さんは二つの夢を持っており、一つは芸人の世界で成功すること、もう一つは幸せな家庭を築くことです。
小藪さんはある番組で次のようなことを語っていました。
「結婚したとき、子どもができたとき、『俺のこと面白いと思わなくていいから、金だけくれ!』って思っていました」と番組中に語っていました。
「日本中の人が僕のことを嫌いになったとしても、嫁さんと子どもたちがご飯が食べられて、子どもたちが大学を卒業するまで育て上げられればいい」
家族を持つことに対する覚悟が垣間みえてカッコいいです。
恥ずかしいけど家族に対する思いを言葉にするって大事です。
小藪千豊さんの家族情報&家庭内ルール
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2001年に結婚した小藪さん。2011年に長女を、その2年後に長男を授かっています。
家族は大阪のマンションに住んでおり、東京での仕事が多くなった小藪さんはホテル暮らしをしています。
家族の時間を大切にしている小藪さんは終電の新幹線に乗って帰ることもよくあるみたいです。
娘さんの名前は「小藪まお」ちゃん。画像はありませんでしたが、息子さんの「小籔丈太郎」くんの4歳当時の画像は紹介されていました。
丈太郎くんの年齢は2021年時点で小学5、6年生とのことです。まおちゃんの年齢は丈太郎くんの2歳年上だそうです。
顔立ちも端正なのでイケメンに育つ雰囲気もあります。小藪さんにはあまり似ていないような気がするので嫁さん似かもしれません。
小籔さんの説明だと嫁さんは北斗晶と菅原洋一に似ていると言っていますが、本当は、それはただの照れ隠しで美人なのかもしれません。
小藪さんも嫁さんの容姿については「顔は2点」だと話していますが、「性格は100点で、過去に会った女性の中で3本指に入る面白い女性」と評しています。
売れない時代を支えてくれた嫁さんには今でもとても感謝をしているようです。
小藪家のルール
小藪さんの夢のひとつに「幸せな家族を築くこと」があります。家庭ではとてもいいお父さんをしているようで、記者のインタビューでこんなことを話しています。
このしょうもない仕事を選んでしまったことで、子どもが「習い事したい」、「Wiiほしい」言うたときに応えられへんかったり、嫁はんに生活費で頭抱えさせたりするのがイヤだったから、ある程度安定するまではと思ってたんですよ
※引用:livedoorNEWS
9年間、嫁さんを待たせた後ろめたさもあってか小藪さんは仕事でどんなに嫌なことがあっても幸せな家庭を守るために、ストレスや怒りを絶対に持ち帰らないことを徹底しているようです。
イライラした感情はそれだけで家族に伝播して不愉快な思いをさせてしまうので、そこは徹底しています。小藪さんから嫁さんと子供に対する深い愛情が読み取れます。
家族が健康であれば嬉しいのが1割で、あと9割は家族のために一生懸命働くということですね。
ただ、小籔さんが自身の行動で後悔していることがあり、趣味のゲーム好きが子供にも影響してしまい、子供もゲーム好きになってしまったみたいです。
ゲームをすると思考や創造性を司る前頭前野の活動が低下すると言われ、このいわゆる「ゲーム脳」が子供にはよくないため、小籔千豊は自責の念に駆られているようです。
小藪家は、芸能界への道は禁止令
小籔さんの芸歴は、1993年に「ビリジアン」としてデビューし、その後解散をへて、2021年現在はピン芸人として活動しており、芸歴は28年の大ベテランです。
長く芸人として活躍するなか、芸能界の表から裏、光りと闇まで知り尽くした小籔さんは、家族には同じ人生を歩ませたくないと決めており、家族には芸能界への道は禁止令をだしています。
MBSの「カクガリ君」に出演したさい、小籔さんに娘が「アイドルになりたい」と言ったらという質問に「家を追い出す。勘当する」と語っています。
また芸人になりたいといわれた場合についても次のように答えています。
「上沼恵美子と友近と、しずちゃんとハリセンボンと森三中を足して5で割ったくらい面白くなったらいいけど。それより面白くないのであれば出て行け」
引用:デイリースポーツ
芸能界の厳しさに挙げられる大きな理由として「売れつづける難しさ」があります。
新人の時からすでに厳しい世界での戦いが始まっており、小籔さんもその中で勝ち抜いてきた一人だからこそ、芸能界がどれほど過酷な世界なのか分かっているだけに、娘には別の道を歩んで欲しいのでしょう。
小藪千豊さんの子育て論
小籔さんは嫁さんのことを「性格100点」と自慢するほど愛妻家としても有名ですが、独自の子育て論も持っています。
小籔さんの夢のひとつに「幸せな家庭」がありますが、その定義は、お金や物質ではなく家族の心のつながりにあるというところからスタートしているようで、最大限に子供のためにできることを考えて子育てをしています。
いくつか小籔さんの子育て論を紹介します。
「まず“子どもに媚びない!”これが基本です。でも怒る時は、“おらあ!”と感情で怒らず、“こんなことしたらアカン…今のママに対する返しはない”と冷静に諭しますね。それだけで、子どもたちの背筋はピーンとするし、テンションも下がる。半べそで泣きそうなのを見ていると、胸は傷みます。たまにしか大阪に帰られへんのに、晩飯も、今月は今日しか一緒に食われへんのに、本当はそんな時に怒るなんてしたくない。でも、何のために僕が存在しているのかと言うと、あの子らが大人になった時、“小籔がうちの部に配属になったんやけど、できるしええヤツやわ~”そう言われたいわけですよね。彼らが幸せな家庭を作って、挨拶ができて、ちゃんと自立した大人になるために存在しているわけなんです。そうなると、なんでも甘やかして子どもに媚びて好かれようとする行為は、将来のためになるかと言ったら絶対ならへんと思うんですよ。僕と嫁はんが雲の上から見下ろした時、“ええ子育てしたな”と思えるようにしたいんです」
「社会人になるまでは助走なんですよ。社会人として自立するまでが助走なら、親は子に、しっかりホップステップジャンプを踏ませるべきなんです。子どもの頃に、蝶よ花よと甘やかしていたら、社会に出てからとんでもないことになる。鬱陶しいヤツもおるし、理不尽なこともある、この世のなか、努力が報われへんことなんか山ほどあるじゃないですか。もちろん、夢が叶うことや思わぬラッキーもあるでしょうけど、これから危険なジャングルに行く子に親としてどちらを教えてあげた方がいいかとなると、“蛇もいるかもしれん、クモもいるかもしれん、寒いぞ~食うもんないぞ~”と、そっちを教えておいてあげた方がええと思うんですよ」
「いずれは、困難が待ち受ける世界に子どもを放出するんです。それは誰もが通る道で、決定なんですよ。“お前挨拶できなかったら会社クビになるぞ”“ありがとうって言えへんかったらどんなことになるのかわかってる?”“勉強せえと意地悪で言うてるわけやない。最終的に困るのは自分や!”と。だから僕は、目に余った時はしっかり怒りますが、一日くらい経った後、“あの時ああ言ったのは、意地悪じゃないんやで。パパはいっぱい大人を見てるけど、挨拶せえへんヤツは要領良くても、後に嫌われて仕事なくなったりすんねん(笑)。挨拶ができて優しい人は、後輩におごったりして一瞬損すんねん。でも、そのおごった分以上のええことが待ってるんやで”と諭すようにしています」
引用:ママテナ
小籔さんの子育て論を知ると、「幸せな家庭を築く」という夢を実現するために何が必要かということについてしっかりと考えていることが分かります。
【YouTuber】小藪千豊さんの「フォートナイト下手くそおじさん」
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2020年2月、YouTube上に突如現れた『フォートナイト下手くそおじさん』チャンネル。
そのチャンネルの開設者は吉本新喜劇座長の小籔さんでした。
まずは「フォートナイト」を知らない人のために↓↓↓
「フォートナイト(FORTNITE)」は、米Epic Gamesが2017年にリリースしたオンラインゲームです。Windows PC、PlayStation 4/5、Xbox One、Xbox Series X/S、Nintendo Switchといったパソコンや家庭用ゲーム機に加え、Android端末(スマホ/タブレット)など、幅広いプラットフォームで展開されています。また、異なるプラットフォーム間での協力、対戦プレイに対応しているのも特徴です。なお、以前はiOS、macOSでもプレイできていましたが、Epic Gamesとアップルの間で訴訟問題が勃発しており、現在はプレイできなくなっています。「フォートナイト」は、Windows PC、PS4やXboxシリーズなどの家庭用ゲーム機などを経て、intendo Switchでリリースされたことにより、プレイヤー層が小学生にまで急速に拡大しました。これをきっかけに、それまでゲームに興味がなかった親世代の大人にも認知されるようになったというわけです。特に、2020年はコロナ禍という特殊な状況から、家の中で時間を過ごすことが多くなり、ゲームをプレイする人が増えたということもあるでしょう。YouTubeでも「フォートナイト」に関連する動画は多数投稿されており、2020年は人気YouTuberやゲーム実況者のほか、芸能人も数多く参入しています。ヒカキンさんや、芸人の小籔さん(フォートナイトへたくそおじさん)などが、有名ゲーム実況者やプロゲーマーとコラボし、これまで「フォートナイト」を知らなかった人にも広く知られるようになりました。また、世界最大のゲーム実況プラットフォーム「Twitch」では、2020年の最高同時視聴者数において「フォートナイト」が1位を獲得。日本だけでなく世界でも人気のゲームになっています。「フォートナイト」は、バトルロイヤルというゲームシステムを採用しています。これは、100人のプレイヤーが、丸腰でひとつの巨大な島に降下し、武器やアイテムを収集しながらバトルを行い、最終的に1位となったものが勝利するというルールです。バトルロイヤルには、1人で遊ぶ「ソロ」、2人の「デュオ」、3人の「トリオ」、4人の「スクワッド」というモードが用意されています。これらのほかに最大16人までのフレンドと一緒に遊べる「クリエイティブ」というモードがあります。「クリエイティブ」では、自分でルールを決めたゲームを作ったり、世界中の人が作ったゲームを遊ぶことが可能です。そのため、ゲームの種類は多岐に及び、レースや鬼ごっこ、かくれんぼといった、いわゆる銃撃戦ではない遊び方もできます。
出典:価格.COMマガジン
小籔さんがどっぷりとハマったフォートナイトを次のように解説しています。
インタビュー前編『小籔千豊がフォートナイトにどハマり。「はよ息子寝ぇへんかな」』>>
――YouTubeチャンネルを開設した際、なぜ「フォートナイト下手くそおじさん」の匿名チャンネルにしたのでしょうか。周りからも「なんで新喜劇とか小籔の名前を出さへんの?」って言われましたね。でも、俺は別にYouTubeで一山当てたいわけじゃないんですよ。俺はきっと一山あてられへんやろうし。自分の場合は堂々とフォートナイトをプレーして、上手くなりたかっただけなんです。
それに、YouTubeという絶対になめてはいけない世界にお邪魔するわけです。フォートナイト関連のYouTuberさんたちも、みんなゼロから始めて徐々に周りに認められてきたわけじゃないですか。だから、自分もただの「フォートナイト好きのおっさん」としてゼロからスタートしたかったんです。「小籔です」と言うのは、フォートナイトの世界の人たちに認めてもらってからでええと。
ただ、とりあえず生配信やってみたら全然人が来ないんですよ。1~2人とか。3人になったと思ったら、また1人。しかも、見ているのが嫁さんさんや息子だったりするんですよ。東京にいるおっさんが大阪の家族に向けてゲーム配信しているだけっていう状況が1カ月くらい続きましたね。
出典:YAHOO!JAPAN!ニュース
小籔さんがYouTubeを始めた理由は「堂々とフォートナイトをやりたい」、そして「本気でフォートナイトが上手くなりたい」という二つの気持ちを原動力にYouTubeチャンネルを始めたみたいです。
小籔千豊さんは3誌の専属モデルだった!
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小籔さんは、「カズニョロ」名義で2015年から女性ファッション誌史上初めて芸人として3誌同時の専属モデルとして約3年半活動していました。
モデルを務めていたのは、この3誌です。
・「ナイロンジャパン(NYLON JAPAN)」
・「ヴィヴィ(ViVi)」
・「ヴォーチェ(VOCE)」
数多くの女性モデルを抑え、高い人気を誇っていた小籔さんの新しい魅力の発信に、小籔さんは「史上初の顔長くてブサイクなのに“専属”モデル」と自虐を交えながらも「やっと夢が叶ったというか、本当に専属モデルになりたいと思ってこの世界でがんばってきたんです」と感無量の様子で語っていました。
小籔さんが女性ファッション誌のモデルとなったのは、自身が運用しているInstagramへの投稿がきっかけです。
お笑い芸人さんとのプライベートショットも多いのですが、美容についての投稿やスイーツモデルとの写真など、女子力の高い映える写真が多く掲載されていました。
その中で、女子高生やモデルなど若い世代の女性を中心に人気を集めたのが、独自のポージング「カズニョロポーズ」です。
また「ポピポピ」「パアパー」といったカズニョロ語も若い世代から有名芸能人たちの間で流行らせました。
小籔千豊さん考案「カズニョロポーズ
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下から頬を、上からこめかみ部分のフェイスラインを抑えるように、左右の手で作るこのポーズは、瞬く間に人気を集めカズニョロポーズをした投稿が若い女性を中心に急増し、世界的なブームとなりました。
この『カズニョロポーズ』は、個性的というだけでなく、左右の手で顔を隠すため、小顔効果があることでも注目されました。
つまり、人気と写真写り、2つを兼ね備えたポーズだったのです。
小籔さんのオシャレな投稿と特徴的なポーズが新しいファン層を獲得し、現在でも大人気のアカウントです。
小籔千豊さんのバンド活動
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新喜劇の座長から女性ファッション誌のモデル、俳優など、幅広い活躍を見せる小籔さん。
近年では、バンド『ジェニーハイ』のメンバーとしても活動しています。
『ジェニーハイ』は、バラエティ番組『BAZOOKA !!!』(BSスカパー!)をアピールするために始まったプロジェクトであり、『BAZOOKA !!!』の番組レギュラーである、小籔さん(ドラム)、中嶋イッキュウさん(ボーカル)、くっきーさん(ベース)、それにプロデューサーとして小籔さんが希望した川谷絵音(ギター&プロデュース、また過去に同番組に出演したことのある現代音楽家の新垣隆(キーボード)を加えた5人の個性的なメンバーで結成されました。
小籔さんがドラム始めたのは、自身が企画している野外音楽フェス「コヤブソニック」で2012年にこのフェスで人気バンド『チャットモンチー』と共演することがきっかけです。
つまり、もともとドラムを演奏していたのではなく、企画の1つとしてやり始めたのがきっかけで、現在ではより演奏技術がうまくなり、メンバーの川谷絵音さんからも絶賛されるほどになったのです。
普段の毒舌キャラからは想像できない意外なギャップを感じます。
小籔千豊さんの趣味【カメラ】
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小籔さんのハマッている趣味に写真がありますが、そのきっかけは実家のおもちゃ箱から出てきた
カメラをいじっていたのが始めるきっかけとなりました。
興味のある被写体を写真に撮って、わからないことがあれば本屋で調べる、などを繰り返していたらいつの間にか詳しくなっていったそうです。
好奇心で続けていたものが結果的に続いていてそれが趣味になったみたいです。
小籔千豊さんの辛口毒舌コメント集
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小籔さんは対芸能人、対一般人にお構いなく毒を吐くキャラとして有名です。
普通の人が言わないこと、言ってもオブラートに包んで言うようなことをストレートに言い切ってしまう独特かつ魅力ある小籔さんの毒舌の数々をご紹介していきます。
お前、あの人の横ついとったら何でもうまくいく思うなよ!あの人から離れるときもあるっちゅうこと忘れんなよ!
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 2, 2021
空、猫、犬、おしゃれなカフェのカプチーノ上から、これ撮ってるやつは大体くそやで!
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 2, 2021
アホな上司に変革を促すのではなく自分を強くして解決する
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) February 26, 2021
どういう風なポイントこだわったところありますか?なにもないはずです。あったら言うてみ、たぶん無いでしょ、だから黙っといてください!
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) February 26, 2021
小籔千豊さんの名言集
小籔さんは辛口毒舌コメントだけでなく、名言・金言なども残しています。
小籔さんの活動全ては「吉本新喜劇の宣伝のため」というように毒を吐くだけの芸人ではなく、視聴者に好感をもってもらえるようにさまざま言葉を生み出しています。
世間から、おもろいな~、めっちゃええやつやな~と思われてても、嫁はんと子供が飯食われへん方が嫌なんで。世界中の人に嫌われても、僕の家族が飯食えたらいいな~、吉本新喜劇が盛り上がれればええな~!とそういう覚悟でやってます
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 3, 2021
神様もベタは好きやで!
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 2, 2021
「空気を読む」と「自分を曲げる」というのはちょっと違う
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 1, 2021
自分が何をしたくて今の仕事を選んだのか初心に帰る
— 小藪千豊@名言bot (@fd9h8q435hsy) March 1, 2021
まとめ
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小籔さんは、さまざまなバラエティ番組やインターネットテレビなどに出演しながら、新喜劇の舞台に立ち続けています。
新喜劇の開場から60年を記念した全国ツアーにも参加しており、全国各地で新喜劇の魅力を伝えています。
また、モデルや俳優、『ジェニーハイ』として、音楽活動に力を入れています。
これまでにお笑い芸人としての枠を続けて驚かせてきた小籔さん。
これからは、どのような活躍で私たちを楽しませてくれるのか楽しみです。
今の勢いを殺さずに、今後も新しいことにチャレンジし続けて笑いを提供して欲しいですね。
今回の記事に関する意見や、こういった内容に関する記事を読みたい!といった方はぜひコメントでシェアしていただくとありがたいです。
それでは、また次回お楽しみに!